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「イヤなことから学ぶには?」の続き
8月26日に書いたブログ
「イヤなことから学ぶには?」の続きです。
光の存在からメッセージをもらったことを実行しました。
自分の家のまわりに愛をもって光を送ることです。
しかし、
なんとなくまだ自分の中でわだかまりのようなものが残っていました。
でもきっとなにか必要なことがおこるだろうからと、
ただ光を送ることだけをしました。
何日か前に買った本がありました。
『無条件の愛とゆるし』E・Rスタウファー著 です。
なにげに手に取りパッと開いたページにメッセージがありました。
o○.。o○.。o○.。o○o○.。o○.。o○.。o○
ゆるしの行為によってキャンセルされるものは何でしょう。
答えは、私たちの心の中に在って愛を遮断する要素です。
ゆるしは精神的な行為であると同時に霊的な行為でもあります。
意志と心の両方の要素を必要とするからです。
またゆるしの行為は一切の外的環境にも左右されるものではありません。
期待も、要求も、条件も、そのすべてが私たちの心の中においてキャンセルされます。
ですから、ゆるしの行為に到るには、
まず私たちが他者を愛していないことの過ちに気づく必要があります。
内的調和を取り戻すために、
この誤った状態を正常化しようとする意志の力が必要なのです。
私たちの愛が欲しいなら、それなりのことをして欲しいと要求すること、
つまり、
「彼はこうすべきだ」とか「彼女がああしなければならない」などは、
条件つきの愛であり、エッセネ派の行動規範に従えば、誤った行いなのです。
キャンセルという行為は、大目に見ることでもなければ、
見逃すことや、是非することでもありません。
この行為によって他者の内にある悪しきものが消えさるわけではないのです。
私たちは、他者の行為や、他者の過ちを取り消すことはできません。
悪しきことを忘れてしまうこと、
あるいは記憶から消し去ってしまうことも取り消し行為とは違います。
キャンセルの行為とは、
愛されるためにあの人は然るべき行動を取るべきでるという要求を取り下げる、
あるいは捨てることなのです。
o○.。o○.。o○.。o○o○.。o○.。o○.。o○
この文を読み、
私は、自分中心だったんだ、
他の人に対して自分の思うように行動してくれないことで怒っていたんだ・・・。
このことについて私は反省しました。
そして
ここに書いてあるように、他者に要求することをやめました。
本に書いてある演習があり、その通りにやってみました。
演習が終わり・・・ご近所の方への怒りはなくなりました。
もうこだわるものが無いことを感じました。
解放感を味わいました。
イヤなこと・辞めたいことからの学びは、
他者を自分の思い通りに行動して欲しいと要求していて、
その通りにならないから怒り、ストレスを感じていました。
なので、
そのような他者への要求を手放すことだと思います。
私の今までの仕事、人間関係などを振り返り、
イヤだと思ったこと、辞めたいと思ったことを思い返してみると、
すべて・・・他者への要求を手放さなかったのが原因だと気づきました。
「怒る」ということは、すべてこの「他者への要求」だと感じました。
他者への要求がないということは・・・・自由なんですよね。
その自由な感覚を味わってみると、とてもしあわせです。
それが心の平和であり内的調和でもあると思います。
愛を感じられる状態でもあります。
常にこの状態でいたいものですーー。(* ̄∇ ̄*)
深呼吸してぇ~~~~
スぅーーーーーハァーー~~~~
なにも考えずに・・・ボォ~~~っとぉ~~~~~
・・・
スゥーーーーー( ̄‥ ̄)
・・・・・
ハァ~ーーーーーーーー(´□`)
・・
・・・・・
この感覚って気持ちよくないですかぁ?
なににもとらわれてない・・・自由な感覚・・・・
これの感覚を・・・
平和と感じたり・・・
しあわせと感じたり・・・
愛と感じたり・・・します♪
怒り・・・すなわち他者への要求が現れたとき・・・
スゥーーーー( ̄‥ ̄)
ハァ~ーーー(´□`)・・・・です
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